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森山大道 : 写真よさようなら

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ご好評いただきましたart特集ですが、新田の帰国までのあいだまた始めようと思います。


今回紹介するのは、日本の写真家の写真集でも最も重要な一冊のひとつと言える、森山大道氏の《写真よさようなら》です。最近、パワーショベル社より復刻版が発刊されましたが、元は1972年に出たものとして未だにその価値向上のとどまるところを知らない伝説の写真集になります。


この一冊は日本の写真史のみならず、世界の写真史においても多大な影響を与えました。なぜでしょうか?それは、タイトルにもあるように、大道氏はこの写真集によって写真から根本的な"意味"を排除してしまったからです。


元来より、写真には"記録性"という性質があります。それは、刹那の現実を写真は切り取ることが出来るということで、それまで絵画や文字で記録されていたのが写真の登場によって簡単に記録することができるようになったのです。では、この記録性。突き詰めてみると、写真撮影の明瞭な動機でもあります。人は現実を記録するために写真を写す。それはプライベートな場面での記念撮影から、データとしての記録写真まで、写真には一様にそうした「撮影における動機」が明確にありました。言い換えれば、「撮る対象を定めることから写真は始まる」というわけです。


ここを大道氏は「写真から意味を無くしたらどうなるのか」として、ぶちこわしたのです。そうして出来たのが、《写真よさようなら》。当時の氏の写真の特徴でもある、「アレ・ブレ・ボケ」に加え、構図もまったく不鮮明な写真が続きます。被写体も、どれを狙って撮っているかもわからないこうした流れは、上述した本来の写真の記録性を大変曖昧なものとしています。これこそ、タイトルの「写真よさようなら」というわけなのです。要するに大道氏は70年代初頭にすでに「写真へのアンチテーゼ」を提示していたのでした。


中平卓馬、高梨豊、多木浩二、岡田隆彦らによって1968年に創刊された写真同人誌《PROVOKE》の意が「挑発」であるとともに、その総括集《まずたしからしさの世界をすてろ》のタイトルを観ても判るとおり、この当時彼らは必死に思想に対するア・プリオリを排除しようと懸命でした。


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PROVOKE 1〜3 全巻


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《まずたしからしさの世界をすてろ》


《写真よさようなら》発行の1年後に出版される70年代を代表する写真家・中平卓馬氏の写真批評本《なぜ植物図鑑か》は、この当時の彼らの思考を探る上での重要な資料となってきます。ここで氏は写真性には「イメージ」という、《私から発し、一方的に世界へ到達するものと仮定され、そのことによって世界を歪曲し、世界を私の思い通りに染め上げる》ものが付随している、と考えられているのが世の中だと指摘しています。


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中平卓馬著《なぜ、植物図鑑か》 1973年発行


しかしこれを氏は《一方的な私の視線によって繫っているのではない》として否定し、さらは《そこには私の視線を拒絶する世界、事物の固い〈防水性の外皮〉がただあるばかりである》として、イメージという、ア・プリオリとして写真に付随している作家性を否定する考えが観られます。

氏は、絶対客観的資料としての"植物図鑑"を、こうした原理の究極として挙げていますが、僕には《写真よさようなら》こそがこの、写真のア・プリオリ的解釈を完全に否定・排除・崩壊したものとして評価できるのではないかと考えます。ライバル同士であった森山大道と中平卓馬、つねにPROVOKEし合っていただけに、中平の中で大道をそう容易く認めたくないという姿勢は、森山大道のエッセイ《犬の記憶》などでもうかがうことができます。


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森山大道著《犬の記憶》文庫版


こうした、ア・プリオリとしての写真性を真っ向から否定することに成功した大道氏はその後、数年間写真を撮ることが出来なくなってしまいます。なにせ、写真そのものを否定してしまったのですから、撮るものがないというのにも頷けます。この、あまりに圧倒的なドラマこそが、70年代の写真家たちの凄いところなのでしょう。


《写真よさようなら》。オリジナルはいまだ手にしたことがないので不明瞭な部分が多くはありますが、いつかは手に入れたい写真集のひとつです。日本が誇る歴史的な一冊としても良いでしょう。

しかし惜しいかな、ヨーロッパのコレクターたちの日本の写真集市場への参入によって、とりわけ70年代の代表的な写真集は急激な高騰化を見せ、いまでは百万円を下らない写真集がたくさんあります。川田喜久治の《地図》、荒木経惟の《センチメンタルな旅》、森山大道の《写真よさようなら》、《PROVOKE》…。日本人はどうにも自国の文化を大切しようという姿勢があまりなく、こうしてどんどん文化が海外に放出されてしまうという事実は大変に悲しいことです。今こそ、守るべき文化はたくさんあるはずだと思います。


数年前にカール・ラガーフェルドによって、「センチメンタルな旅」荒木経惟(1971)、「写真よさようなら」森山大道(1972)、「来るべき言葉のために」中平卓馬(1970)、プロヴォーグNo1、No2、No3(1968−69)の復刻版セットが《THE JAPANESE BOX》と称されて1500部限定で販売されたのも記憶に新しいでしょう。これは、たとえばサイズやカバーの紙厚に至るまでオリジナルと同じであったり使っている紙をかなり厳選して近づけていたりと、あまりの復刻の出来映えが良すぎてオリジナルと見分けがつかないほどの完成度だそうです。ここまでのレヴェルの復刻は日本では不可能だったことでしょう。こうした熱意が日本ではなかなか芽生えないのも悲しい現実です。


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《THE JAPANESE BOX》


Posted by TOMO (keiichi nitta studio)

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