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田附勝「DECOTORA」

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「DECOTORA」
田附 勝


近頃さまざまなメディアで紹介されている本書。おおよそ十年ものあいだ、いわゆる"デコトラ"を追っかけ続けた田附氏が写真集に編んだものだ。テーマが派手なものだけに、よくあるパターンの"アーカイブ"かと思いきや、意外や意外。ページをめくってみると、大変構成の巧い一冊だということがわかる。


普通ならデコトラという強烈なテーマを扱おうとした場合、デコトラの派手さや格好良さといった表層的な部分を切り取る作業で貫徹してしまいがち。被写体の良さや小手先の技術に目を向けるだけでは、写真家とは言えない。それは職人である。そんなものは一年も経てば飽きられてしまうものだ。物珍しさとは至極一時的なものなのだから。


流行り廃りに揺るがないもの、それは「写真家(作家)としての問題提起」そして「飽くなき追究心」。これらを故郷とし、忘れないことである。なにかを伝えようという意志はそのときその人だけに出来ることであり、それこそ唯一性とも作家性とも言えるのではないだろうか。被写体への飽くなき追究心は、その作家の目線で捉えられる等身大の作家自身を写す鏡でもある。作家性とは、そうして生まれる。


この点からして、田附氏の「DECOTORA」は違った。まず、そこには確かに物語があった。デコトラとデコトラをとりまく人々の息づかいが生々しく閉じこめられていた。デコトラの運転手はもちろんのこと、デコトラを10年間かけて追いかけた田附氏だからこそ見つめることのできた「デコトラの環境とそこに息づく人々の思い」がこの写真集には籠もっている。ただデコトラそのものだけではデコトラのドラマは構築しえない。そしてそうしたドラマが、デコトラを通して作者の思いの強さを観る者の心に訴えてくるのである。


それをとりまく様々なモノ、事象、環境がそろってはじめて写真集は写真集として機能し、それこそが「編む」という行為でもある。写真集とはそれくらい生々しい生き物で、そのときその人にしか作り得ないものだからこそ唯一無二で尊いものなのだ。復刻版などにはないのは、そうした生々しい息づかいである。そしてそうした感覚を肌で知り、作り上げることができるのが、「写真家」なのである。


田附氏は間違いなく、"写真家"であった。

そして「DECOTORA」は間違いなく"写真集"であった。


*


どれだけコトバで綴ってみたところで、実物が見れなければ伝わるモノも伝わらないのは悲しいものだ。これも最近出た写真集なので中の写真をここに転載することは避ける。だが、ぜひ手にとって見てみて欲しい。一つ前の記事「犯罪の風景」でも指摘したが、「ワンコンセプト、リアルディスクリプション」がこの写真集でも息づいている。ただ「犯罪のある風景」は構成という点では物語性は感じられないが、「DECOTORA」は構成の点を言っても秀逸で、物語として見せてくるパワーと秩序がある。物語性とは、逆から見てしまうと秩序が感じられない構成のことでもある。そして「DECOTORA」は、一ページ目から順を追ってめくっていかなければ生まれない感動が潜んでいるので、まちがいなく物語である。

Posted by TOMO (keiichi nitta studio)

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