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孤高の写真家・深瀬昌久

今日は深瀬昌久という写真家を紹介します。氏は60年代後半〜90年代初頭まで活躍した日本が誇る写真家の一人ですが、意外にもこの日本ではあまり知られておらず、"知る人ぞ知る"という不幸な代名詞を必要とする写真家です。むしろ海外での評価の方が高いのは皮肉的なものを感じずにはいられません。


氏は往年の伝説的写真雑誌"カメラ毎日"を中心に作品を発表し続け、同時代に活躍していた荒木経惟氏と同様、自らの環境の内にあるリアルな被写体を追い求めつつも、然し深瀬の視線は荒木とは正反対の、より意識的に構築された世界で表現として還元させていました。たとえば写真集「遊戯」では、当時の氏とその妻・洋子氏との新婚生活を露わにさせているかと思えば、違う場面では打って変わって、洋子と自らの母を裸にさせ下半身には腰巻きを履かせて黒バックで撮影するといった、広告写真のような展開も見せています。


こうした氏の「現実と非現実の巧みな交錯」は以後の作品にも重要なテーマとして浮上してきます。カメラ毎日ではドキュメンタリー作品を多く発表していますが、たとえばカメラ毎日1966年の11月号では、「職場の中の人間回復」という題で様々な職場で働く労働者たちを描いていますが、その中でも印象的なのは「松下電器電池事業部自己管理室のマジック鏡」と説明書きされている一枚です。笑顔で楽しそうに写る労働者たちですが、その姿はと言うと、目の前のマジック鏡によって湾曲され、ゆがんでいます。姿はもはや人間ではないかの様に歪んでいるというのにも関わらず、その屈託のない彼らの笑顔に違和感を感じてしまうのは僕だけではないはずです。


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カメラ毎日1966年11月号


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カメラ毎日1966年11月号 題 「職場の中の人間回復」より
「松下電器電池事業部自己管理室のマジック鏡」


こうしたironyを含有させる氏独特の錬金術。やがてレンズ越しの対外的な対象だけでは物足らず、ついには自らもその実験対象としてしまいます。二度の離婚を重ね、孤独の内にこもっていった深瀬氏はどんどん寡黙な人間となってゆき、カラスを撮り始めるようになります。来る日も来る日もカラスを追いかけ、カメラ毎日にて断続的に発表していきました。そこの頃からセルフ・ポートレートに関心を持ち出し、得意のフォト・コラージュの素材として自分も登場させています。


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カメラ毎日80年3月号


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カメラ毎日80年3月号「烏・夢遊飛行」より コラージュ作品


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カメラ毎日80年3月号「烏・夢遊飛行」より コラージュ作品
深瀬氏自身もコラージュの素材の一部としてこの頃から登場し出した。


やがて、カラスをテーマとした作品群は写真集「鴉(からす)」として1986年に蒼穹舎から出版されます。ただ孤独にカラスを追い求めた深瀬の写真に写っていたのは紛れもない深瀬自身でした。モノクロとカラスは見事に当時の深瀬の心を反映させ、とめどもない悲しみと儚さが伝わってきます。写真集ラストの一枚は布団をマントのように身にかけた浮浪者の後ろ姿ですが、もはやこれはカラスとしか見えません。深瀬の眼はこの頃、カラスを狩る者として、すべての事象がカラスにとって変わって見えていたのでしょう。その視線が生々しく伝わってくる一枚です。この「鴉」、日本の写真史においても大変貴重な一冊として評価されており、発売から20年しか経っていないにもかかわらず、市場での価値高騰は歯止めを知らないのが現状です。


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「鴉」海外版 「The Solitude of Ravens」


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「鴉」海外版 「The Solitude of Ravens」よりラストカットの浮浪者


こうしてカラスシリーズに終止符を打った深瀬は、そのあと急に目標を失ったかのように力を失ってしまいます。この頃から彼は、被写体を失ったにも関わらず、とめどもなく常に吹き出していた写真欲をどうにか解消するためか、自然とセルフ・ポートレートの類を撮るようになります。

ゴールデン街にて会った人と、舌と舌とを絡み合わせたところを撮った「ベロベロシリーズ」。風呂桶に浸かった自分を丸一ヶ月撮り続けた「ブクブクシリーズ」。そして、様々な土地でその背景をバックにしながら顔の一部や足などをフレームに入れて撮った「私景シリーズ」。どれも深瀬氏自身が被写体の一部として登場してきます。この頃、自分を撮るのが楽しかったようで、四年近く全ての写真に自分をフレーム・インさせて写していたようです。


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hysteric glamour刊 「bukubuku」


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hysteric glamour刊 「bukubuku」より一部


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岩波書店 「日本の写真家34 深瀬昌久」


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岩波書店 「日本の写真家34 深瀬昌久」より 「私景シリーズ」


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「日本カメラ」92年三月号・切り抜き資料より 「私景シリーズ92'」 一部カット


こうして、氏はだんだんと写真の世界に自分が入っていきました。思えばブクブクシリーズで写真という母の胎内に還っていき、私景シリーズでその産声を上げたようにも感じられます。実際、氏は私景シリーズ92'の個展のすぐ後で、不慮の事故によって写真家生命を断念せざるを得なくなってしまいます。そこから氏の情報は、老人福祉施設にて過ごしているということの他はなにもありません。まさに写真にのめりこんでいった結果、自ら自身をも崩壊させてしまった壮絶な写真家でした。


この時代の写真家たちは、みな命を懸けて写真に取り組んでいたように思います。中平卓馬然り、荒木経惟然り、森山大道然り。中平は一度記憶を失うまでに写真に取り憑かれていましたし、荒木は自らの母・父・妻の死すらも被写体にし、そこからエロスとタナトスをいっしょのものとしてエロトスを表現し続けています。森山大道もまた、「写真よさようなら」でそれまでの写真に在った前提条件、「人は意味を持って写真を写し、だからこそ写真に写るものにはなんらかの意味がある」を覆し、まったくの無価値・無意味の写真を構築してしまい、その後数年はまったく写真を撮らなくなっています。


それほどまでに写真に取り憑かれ、それぞれの主観と価値観で、違う道を進みながらも、誰よりも写真を愛していた70年代の写真家たち。彼らと比較すると、どうしても今の時代の写真の力の無さが悲しくなってきます。あの頃のようなハングリーな熱情は、飽食と言われる今の時代には古いのでしょうか。今こそ、彼らと同じく、写真と心を交わし、自ら骨を断ち肉を切る思いで写真に立ち向かっていきたいものです。


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猫好きで知られる深瀬氏は猫の写真も数多く出しています。
左 : 「猫の麦わら帽子」 右 : 「サスケ!!いとしき猫よ」


Posted by TOMO (keiichi nitta studio)

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